~HISTORY~
開基は釋宗尊、延徳年間(約530年以上前)の創建と伝えられている。当初は現在地の東南約300mの古竹(乕竹)街道にあったが、寛文年間(約330年以上前)に現在地に移転したとされ、境内地1反7畝10歩、門徒個数42戸と記録がある。元は天台宗の道場であったが、明応3~4年頃(約515年余り前)蓮如上人の御教化により浄土真宗に転派したと思われる。現在地に移転後、集落の大火によって寺も焼失したと伝わるが、年時詳細は不明。しかし、ご本尊の阿弥陀如来像及び御開山親鸞聖人御影は宝永2年9月5日(約315年前)に、御本山より下附されているところから、その頃には既に再建されていたとすると、現在の本堂伽藍は建立以来、約315~330年以上経過していると推定される。
※歴代住職は以下の通りであるが、第2代から第3代までの時代に、かなり長期間無住状態であったと推測される記述がみられ、この間に何人かの住職が存在しているはずであるが、正確な記録が残っているものを採用して、現住職を第13代と表記している。
●開基(初代)、釋宗尊…延徳2年(1490年)9月2日往生
●第2代、釋明誓…往生年不明、1月11日往生
●第3代、釋浄空…宝永元年(1704年)6月3日往生
●第4代、釋泰休…元文2年(1737年)3月9日往生
●第5代、釋泰嶺…天明7年(1787年)1月16日往生
●第6代、釋泰雲…文化8年(1811年)7月17日往生
●第7代、釋泰岸…天保12年(1841年)7月17日往生
●第8代、釋泰禪…明治19年(1886年)10月14日往生
●第9代、釋泰教…大正6年(1917年)3月26日往生
●第10代、釋泰行…昭和25年(1950年)12月6日往生
●第11代、釋泰順…平成10年(1998年)11月26日往生
●第12代、釋泰雄…平成29年(2017年)12月15日住職退任
●第13代、釋泰仁…平成29年(2017年)12月15日住職就任
《註》上記の記録は、第12代住職が当院過去帳及び住職家家系図(文化6年5月、第6代住職作成)並びに高島郡史誌(昭和2年7月発刊)により昭和62年(1987年)に作成、その後、平成30年(2018年)に再編成された資料から転記。
宗 名 | 浄土真宗 |
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宗 祖 | 親鸞聖人(ご開山) ご誕生1173年5月21日(承安3年4月1日) ご往生1263年1月16日(弘長2年11月28日) |
宗 派 | 浄土真宗本願寺派 |
本 山 | 龍谷山 本願寺(西本願寺) |
本 尊 | 阿弥陀如来(南無阿弥陀仏) |
聖 典 | ・釈迦如来が説かれた 『浄土三部経』『仏説無量寿経』『仏説観無量経』『仏説阿弥陀経』 ・宗祖 親鸞聖人が著述された主な聖教 『正信念仏偈』(『教行信証』行巻末の偈文)『浄土和讃』『高僧和讃』『正像末和讃』 ・中興の祖 蓮如上人のお手紙 『御文章』 |
教 義 | 阿弥陀如来の本願力によって信心をめぐまれ、念仏を申す人生を歩み、この世の縁が尽きるとき浄土に生まれて仏となり、迷いの世に還って人々を教化する。 |
生 活 | 親鸞聖人の教えにみちびかれて、阿弥陀如来のみ心を聞き、念仏を称えつつ、つねにわが身をふりかえり、慚愧と歓喜のうちに、現世祈祷などにたよることなく、御恩報謝の生活を送る。 |
宗 門 | この宗門は、親鸞聖人の教えを仰ぎ、念仏を申す人々の集う同朋教団であり、人々に阿弥陀如来の智慧と慈悲を伝える教団である。それによって、自他ともに心豊かに生きることのできる社会の実現に貢献する。 |
◆◆◆ 年 回 行 事 ◆◆◆
4 月 | 花まつり |
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5 月 | (広瀬仏教会・花まつり) 宗祖御誕会 |
6 月 | |
7 月 | 境内清掃 |
8 月 | 仏教婦人会・ダーナ活動 盂蘭盆会・全戦没者物故者追悼法要 (高島組・十日講) |
9 月 | [祠堂会計・特別] 秋季彼岸会・お彼岸サロン 永代経法要 |
10 月 | (広瀬仏教会・托鉢) |
11 月 | 報恩講 |
12 月 | [祠堂会計・一般] 除夜会・除夜の鐘 |
1 月 | 修正会・御鏡卸し・寺族家報恩講 御正忌報恩講 |
2 月 | |
3 月 | [祠堂会計・特別] 春季彼岸会・お彼岸サロン 寺役員慰労会 (高島組・講釋) |
※日時詳細は毎年変更する場合がありますので、都度ご確認下さい。